ゲイナイトはミロスガレージから始まった【オネハ】新宿・花園神社
「ミロスガレージ・MILOS GARAGE」は、かつての伝説のクラブ「ツバキハウス」を
彷彿させるアンダーグラウンドでエネルギッシュな地下のクラブ。1989年~。
場所は東京都新宿区、花園神社の脇。地下ディスコクラブ。
新宿区花園町5-17-6 花園ビルB1F
(前身のクラブは「第三倉庫」で、
ミロス・ガレージの後身は「CLUB WIRE・クラブワイヤー」)
出典元:facebook.com/hashtag/クラブミロスガレージ
【1989年(平成元年)5月13日(土曜日)、このミロスガレージにて、
記念すべき第1回目の「ゲイナイト」が行われた。】
以後、毎週土曜日にミロスにて、
ゲイナイト「THE PRIVATE PARTY」(ザ・プライベート・パーティー)が開催され、
合計106回! 開催された。
ミロスガレージ・ゲイナイト・THE PRIVATE PARTY(ザ・プライベート・パーティー)は、
パーティーオーガナイザー、加藤ユキヒロ氏が、
ニューヨークのゲイクラブカルチャーを吸収して
日本に持ち込んだものとされている。
メインDJ は、ニューヨークでも活動していた中村直 氏(nao nakamura)で、
ユーロビート~ハウス、オネエハウス(通称:オネハ)まで、
人気のあるダンスミュージック曲などで、フロアを沸かせた。
若いゲイメン達をはじめ、有名人気メンズファッションモデルや業界人、
文化人などの社交場で、フロアは毎週満員、熱狂的だった!
これを機に、日本のゲイクラブカルチャーが本格化した。
「昨今におけるゲイクラブシーンは、新宿ミロスガレージから始まった」
といってよい。
ゲイナイトは、1991年、大型クラブ 東京 芝浦「GOLD」に場所が移り、
1000人規模の大箱での初ゲイナイト「THE PRIVATE PARTY」が始まり、
1995年7月まで毎週第1日曜日に開催された。
開催日には二丁目から芝浦直行のバスが出ていたほど大人気!
NYから帰国のDJ中村ナオ氏をはじめ、人気DJ達が参加していた。
この頃の東京のクラブシーンとしては、
西麻布「P.ピカソ」 西麻布交差点角の地下クラブ「328」などがあり、
一方、新宿2丁目でのクラブ的な店では、 「マコ・MAKO」 「サザエ・SAZAE」
「ブギーボーイ」など。また地下のレゲエクラブ「69」などもあった。
その後、「西麻布のYellow」「渋谷のCAVE」など、夜の遊び場が続々オープンし、
東京に更に新たなクラブムーヴメントが起きた。
「ゲイナイト」はそれまで比較的少人数だったゲイクラブの概念を
一気に数百単位の規模に押し上げた。
二丁目には伝説的なゲイナイト向け常設クラブ「ディライト」がオープンし、
日比谷にも「ラジオシティ」、歌舞伎町には「CODE」が二丁目を超えて広がりを見せた。
近年では、新木場・アゲハでの「Shangri-La シャングリラ」。
渋谷・CLUB CAMELOTでの「AVALON-アヴァロン」。
コロナ禍において、一旦は沈んでしまったゲイクラブシーン、ゲイナイトだが、
コロナの収束と共に、再度、徐々に盛り上がっていき、
そこから、また新たな形のゲイクラブカルチャーが生まれていくことだろう!